建築費の予算計上書類(明治44年8月)

宮城県公文書館のご許可をいただき、画像を掲載しました。


宮城県庁の主任技術師の山添喜三郎が作成した、松島パークホテル建築費の予算計上書類です。
「知事」の押印欄には、後に広島県知事として転任した寺田祐之知事の押印が認められます。
よく内容を読むと、材料の木材は主に県有林から調達し、埋め立ての土砂は隣の県有の梅林の
土地を掘り下げて確保するなど、コストを抑えることをかなり苦心しているようです。
また、見逃せないのは、仙台市営電力を引き込み、本格的な電灯設備や電気呼び鈴が取り入れ
られた旅館は、松島では始めてだったのではないかと思われます。
また、鋳鉄製ラジエータによるスチーム暖房・冷水冷房装置を設置するための追加図面が作成
されましたが、この見積もり書には、まだ反映されていないようです。

この頃、明治43年8月には豪雨によって県内の多くの河川流域が大洪水になり、河川改修など
に多大な出費を強いられることになり、県の財政事情は相当苦しかったようです。
しかし、明治43年12月には、品井沼の干拓通水が始まり、松島海岸の公園化や北上川の改修
工事が着工され、仙台では電気事業の直営化やガス会社の設置など、宮城県の本格的な近代化
事業をいっせいにスタートさせたのが、この時期(明治末期から大正初期)であり、苦境を乗り
超えながら近代化を推し進めようとする当時代の使命感と意気込みが感じられます。

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