松島の近代建築


昔から、景勝地として賑わいを見せる松島にも、明治、大正、昭和初期の建物が少ないながらまだ残っています。
松島にお出かけの方は、松島の近代建築探訪マップをご利用ください


松島城観光ホテル
昔は、和式なら観光ホテル、洋式ならパークホテルと、高級旅館の双璧をなしていました
今はその優美な姿をさえぎるようにRC造りの建物にとりかこまれてしまい、非常にもったいないですね。
しかしながら、B&B形式で、気軽に泊まれるホテル(¥6,300〜)として外人さんにも人気があります。
近代建築好きな方は、松島に来たら必ず探検しましょう。できれば泊まってね。(天守閣入場料¥500)
観光ホテルオーナーの中村様へ、このホテルを末永く続けていただけますよう期待してます。

BONCHANの主張
昔は、松島海岸には3大ホテルがありました。一つ目はキングの風格を持つ和風の松島ホテルでしたが
その建物は終戦直後に米駐留軍による失火で消失しました。二つ目はクイーンの風格を持つかの松島
パークホテルでした(昭和44年消失)、三つ目がジャックの風格を持つこの松島観光ホテルで、見るから
に威風堂々とした建物で、王様とお后様が亡くなった今、松島海岸のキングとして君臨するようです。
しかしながら、近代的な大型ホテルが立ち並ぶ今、このホテルを訪れるお客様は少なくなり、存続の危機
を迎えております。このホテルは松島海岸の重要な景観の一部となっております。町や県でもその重要性
を認識し、この建物の存続のためのご協力をしていただきたいと考えます。

設計者:堀江安五郎 施工者:堀江工務店 昭和2年
観光ホテル、一の丸(天守閣)
観光ホテル、一の丸(天守閣)裏側
観光ホテル、二の丸と三の丸
正面玄関
玄関内部
階段室

こちらのサイトでも写真が取り上げられています。
 
 SAKITAKA'S HOMEPAGE http://www.tcn.zaq.ne.jp/sakitaka/
   松島観光ホテルのファンの方(高槻市在住)のサイト。各地の近代建築と山の話題が満載です。

旧・国鉄松島駅
利府に至る山線が廃止後、松島町国保診療所を経て、現在、松島町健康館として使用されています。
設計者:不詳 施工者:不詳 大正年間
診療所時代は昔の駅の面影を色濃く残していた。
松島町初原診療所玄関(1994)
松島町初原診療所全景(1994)
松島町初原診療所西側(1994)
松島町初原診療所裏側(1994)

現在は更に改装され、松島町健康館として使用されている。
現・松島町健康館玄関(2002)
現・松島町健康館正面(2002)
現・松島町健康館東側(2002)
現・松島町健康館西側(2002)
現・松島町健康館裏側(2002)

旧・観光ホテル案内所
旧松島駅の道路をはさんだ向かいには天守閣のような3階建ての異様な建物がある。
設計者:不詳 施工者:不詳 大正8年?
所在地:松島町初原字樋田12 旧・松島ホテル案内所


白鴎楼貴賓館
昔、昭和天皇もお泊りになられた貴賓専用の旅館だったが本館は解体。
設計者:不詳 施工者:不詳 明治?年
(写真準備中)白鴎楼貴賓館

旧・宮城県松島公園管理事務所
パークホテル隣地の観覧邸の建つ高台に建てらた。老朽化が進んで、取り壊しの話も出ている様ですが、
数少ない大正初期の建築で、かつ本格的な日本式住宅建築なので保全対策を町当局にお願いしたいものです。
この建物は、パークホテルとセットで建設されており、設計者は異なるが施工者は同じです。
設計者:宮城県庁建築課、庄司利兵衛 施工者:庄司利兵衛 大正2年?
旧・宮城県松島公園管理事務所
旧・陳列所・立面図
旧・陳列所・平面図
旧・陳列所(1)
旧・陳列所(2)
旧・陳列所(3)

木村博士邸
海を見下ろす小高い丘の上に建つ、東北大学の水産学部の教授を務めた故木村博士の瀟洒な邸宅
研究室の方は最近、サイディング材が張られたようで以前のように謎めいた感じがなくなったのが残念。
木村博士邸(1)
木村博士邸(2)
木村漁場研究室

旧・松島郵便局
郵便局が移転後、払い下げられ、現在は大友園茶舗として営業しています。
設計者:不詳 施工者:不詳 明治33年〜38年
所在地:松島町高城町105 大友園茶舗

佐々木ふとん店
設計者:不詳 施工者:不詳 大正〜昭和初期?
佐々木ふとん店

佐々木酒店
昔、造り酒屋だっただけあって、高城町かいわいでは、母屋はひときわ大きい
設計者:不詳 施工者:不詳 大正〜昭和初期?
佐々木酒店

松島電機工業
設計者:不詳 施工者:不詳 明治〜大正?
松島電機工業

菅野酒店
明治36年3月6日の高城町の大火の直後に立てられたそうです。
設計者:不詳 施工者:不詳 明治36年
菅野酒店

三崎邸(三崎製氷)
松島は、品井沼が大正時代に完全に干拓されるまでは、浜名湖と並ぶ、うなぎの名産地でした。
高城川に面するこの建物は、当初はうなぎ卸問屋直営の料亭として建てられました。
設計者:不詳 施工者:不詳 明治20年代?
三崎邸(三崎製氷)




明治潜穴
明治43年
品井沼の水を松島湾に排水するため、丘陵地を穿ちトンネルで高城川の上流とを下流を結んだ。
明治潜穴に流れる高城川上流風景
明治潜穴出口
明治潜穴出口近くの記念碑

東北本線・旧・山線 根廻トンネル
明治23年
所在地:松島町根廻字蒜沢(東北本線 愛宕 − 品井沼 間) 昭和31年に塩竈を経由する海線が出来るまでは、旧松島駅から利府に抜ける山線が使用されていた。
根廻トンネル(品井沼駅から旧・松島駅に至る途中)

松島電車関係
近代建築ではないですが、忘れてはならない松島の交通史を紹介します。
宮城県で最初の電車が「松島電車」です。大正11年(1922)に開通し、昭和13年(1938)に休業になりました。
休業後は宮城電鉄が買収しましたが運転再開のめどがつかないまま昭和19年(1944)に完全廃止されました。
廃止の理由は、旧松島駅より、宮城電鉄が開業し松島公園駅のほうが便利が良くなった事と路線バスの登場でした。
本サイトの管理人BONCHANは、この電車を復活させて、松島をセピア色にしてみたいなどと夢想しています。
松島電車と車庫
松島海岸での松島電車

松島電車の遺構
大正11年から昭和13年まで初原の旧松島駅と松島海岸を結んだ松島電車のレールや線路敷きがわずかに残っている。
古レールはこんな形で残っていた。
古レールがある場所(東北本線松島ー愛宕間の田中川の鉄橋下)
道路となった線路敷き(松島町愛宕の高城川河畔:初原方面(旧松島駅側)をのぞむ
道路となった線路敷き(松島町愛宕の高城川河畔:高城・松島海岸方面をのぞむ

仙石線・旧・新富山駅ホーム
戦前の僅かな期間だが松島海岸駅と高城駅の中間(高城川鉄橋近くの松島海岸寄りの丘陵に線路が接したところ)。
松島電車が宮城電鉄とここで接続する案もあったが、新富山駅の乗降客はわずかだったので、実現にはいたらなかった。
松島町在住の民俗学研究家の三崎一夫さんは「当時、仙台に通勤する利用者は他に無く、事実上、私の専用駅だった。」と語る。
昭和初期に新富山駅ホームの大変珍しい写真
新富山駅ホームの跡



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