松島パークホテルの平面図
このホテルは、東京にあった「メトロポール・ホテル」を意識し、名勝松島での洋式ホテルとしてのさきがけとして計画されました。
立面図を含む詳細施工図は、残念ながら発見できておりませんが、暖房装置設置のための比較的詳細な平面図が残っております。
当時イギリスやドイツで流行したリゾートホテルや別荘に見られるバタフライハウスと呼ばれる平面プランを採用しています
このプランは他の建築家の作品を模倣しているよう見られる点が多々あるため、設計はそれほど独創的なものではないようです。
おそらくヤン・レツルは建築雑誌などで流行を知り、松島の立地に最もふさわしいプランを選択したのだと考えられます。
また、中央のホールは楕円形で、この点は、同じレツルの手になる広島産業奨励館の楕円形のホールに引き継がれています。
トレーシング用紙で残っている以下の図面には、最終的なホテル名称ではなく、「松嶋ホテル」と記してあります。
(出典:宮城県公文書館 松島公園旅館建築工事関係(大正1年))
設計書は精養軒から宮城県に送られており、レツル&ホラ建築事務所が精養軒の建築コンサルをしていたようです。
これらの設計書はトレーシング・ペーパーのコピーで、説明書きなどは日本人スタッフが記入したものと思われます。
吉澤゚子氏著「フク・ホロヴァーの生涯を追って」では、レツルの助手に石市栄三郎という人がいたことにも触れています。
資料を送るのに使われた封筒(表)
資料を送るのに使われた封筒(裏) 精養軒社主の北島重昌の署名が確認できる。
地階平面図
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一階平面図
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一階天井図
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二階平面図
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二階天井図
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三階平面図
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